上大岡を歴史からひもとき、また現在の上大岡の姿を紹介することで、上大岡がどんな街であるのか、それをあまり知らない方から、長年お住まいの方まで、このページでご理解いただるものと思います。
1.上大岡とは?

 上大岡は、横浜市の南部、港南区の北東部に位置し、京浜急行と横浜市営地下鉄が停車する上大岡駅を中心として、駅前の商業地区とその周辺の住宅街で形成されている生活地域で、横浜市における副都心に位置付けられています。
上大岡の地形は駅西側に流れる大岡川を谷として、その周辺は丘が広がるといった様相を呈しており、主に河岸部の平地が駅前の商業地域、周辺の丘陵地が住宅街と見分けることができます。

 かつては武蔵国久良岐(くらき)郡に属し上大岡村をはじめ、久保村(現在の大久保)、最戸村など近距離にいくつもの村がありました。
それが明治22(1889)年4月の市町村制施行の際に、上大岡村、下大岡村、久保村、最戸村、別所村、中里村、弘明寺村、蒔田村、堀ノ内村、引越村、井土ヶ谷村、永田村と合併して大岡川村となり、昭和2(1927)年4月に横浜市に編入。それと同時に上大岡周辺は「上大岡町」となりました。無論このときは中区で、昭和18(1943)年12月に南区に分区され、昭和44(1969)年10月に、現在の港南区に分区されたのです。
昭和50(1975)年7月には、上大岡町の住居表示を施行。上大岡西一丁目〜三丁目と、上大岡東一丁目〜三丁目となりました。


2.戦前の上大岡 〜農村地帯に電車が開通〜

 かつての上大岡は広大な農村地帯が広がっていました。今ではとても信じられませんが、現在の上大岡駅が位置する場所も農民の姿があったのです。実際、港南区の郷土史を見てみると、明治時代に現在の駅前で田植えをする農民の写真が掲載されています。

 昭和5(1930)年4月1日、湘南電気鉄道が黄金町〜浦賀間で開通します。それと同時にできたのが、現在の京浜急行上大岡駅です。当時は品川〜横浜間を運行する京浜電鉄とこの湘南電鉄は別会社で、横浜〜黄金町間は開通していませんでしたが、横浜〜日ノ出町間を京浜電鉄が、日ノ出町〜黄金町間を湘南電鉄がそれぞれ分担して連絡線を建設。既成市街地を結ぶ難工事の末、昭和6(1931)年12月26日に開通しました。難工事だったということは、現在でも横浜〜黄金町間の多数のカーブや高架橋、トンネルで伺うことができます。その後、度重なる統合の末、昭和23(1948)年6月1日に現在の京浜急行電鉄となったのです。
上大岡から話題が反れてしまいましたが、駅開業当時は、前述の通り農村地帯が広がっており、1日の利用者は20人程度、駅員無配置で駅舎もない寂しい駅でした。

 開業してまもなく、現在の大久保一丁目周辺に歓楽街が形成されます。戦後は歓楽街の隆盛は衰え、今ではすっかり面影もなくなってしまいましたが、戦後、それと駅とを結ぶ商店街ができました。その商店街は当時、「ハマの箱根通り」と呼ばれていました。この箱根通りこそが現在の上大岡中央商店街(パサージュ上大岡)です。


3.戦後の上大岡 〜急速な発展、商業地と住宅街の形成〜

 戦時中、上大岡は空襲の被害などはなく、そのまま戦後へ。
昭和26(1951)年10月、京浜急行では本格的に急行を運行するために上大岡駅に急行退避設備が設置し、急行を停車させます。無論、戦前から上大岡駅には急行は停車していたものの、ほとんど運行はされていなかったため、この戦後の本格的急行運転の開始により、上大岡駅にまともに優等列車が停車し、都心からのアクセスがよくなり、加えて普通電車との連絡がなされたことで、現在の上大岡を形成する上で、非常に重要なアクセントになったと思います。
まもなくして京急で現在の磯子区森が丘で開発を開始するなど、上大岡周辺は虫食い的に開発が進められた後、住宅街が形成され、現在のような生活地域へと発展していくようになります。
昭和38(1963)年4月には、駅ビルが完成し、「京浜百貨店」がオープン。
昭和47(1972)年12月16日には、横浜市営地下鉄上大岡駅が開業。上大岡駅から周辺住宅街等、各方面へのバス路線も充実し、ターミナル駅として、ますます成長していきました。

 商業地域としてもますます発展していきます。
戦後、箱根通り(現:上大岡中央商店街)をはじめ、昭和38(1963)年に先代の駅ビルに「京浜百貨店」がオープン。それを皮切りに、昭和43(1968)年に現在のリストガーデンスクエア左側の駐車場の位置に東光ストア(現:東急ストア)が、昭和45(1970)年には現在の赤い風船食彩館の建物にダイエーが、昭和49(1974)年にはイトーヨーカドーが、加えて昭和50(1975)年には富士スーパー・長崎屋がオープンしていきます。
中央商店街は当時、駅までつながっており、最盛期は約100店舗が軒を連ね、昭和30年代には縁日が行われていました。


4.再開発事業に着手
 
 昔から上大岡にお住まいの方でも、「上大岡でまさか商売ができるとは思わなかった」とつぶやいてしまうほどの発展。しかし、昭和50年代には周辺の新興住宅街の港南台や上永谷などに大型店舗が進出し、上大岡から客足が遠のいていき、加えて駅前店舗の建物の老朽化が進み、雑然とした街並みから防災上においても問題があるということで、駅前再開発事業が計画されるようになります。
綿密に計画された下、平成4(1992)年から上大岡駅の再開発事業を開始。当初の竣工予定は3年後の平成7(1995)年としていましたが、立ち退きに応じない地権者との折り合いもあり、遅れて1年後の平成8年(1996)年10月1日に京急百貨店・ウイング上大岡がオープン。平成9(1997)年6月には港南区民文化センター「ひまわりの郷」とオフィスタワーも完成し、計画から10年以上に及んだ再開発事業によって、上大岡駅総合ビル「ゆめおおおか」が完成したのです。
再開発事業は現在でも続いており、駅向かい側に平成15(2003)12月にcamio(カミオ)と30階建てマンション「横浜ヘリオスタワー」が完成。最近ではリストガーデンスクエア周辺の再開発が計画されており、横浜市の副都心として、また横浜南部地域の拠点として、上大岡はますますの発展を見せています。


5.生活地域・上大岡として

こうして急速に発展していった上大岡。
現在、上大岡駅は京急全駅の乗降客数で横浜、品川に次いで第3位、市営地下鉄全駅の乗車数でも第4位となっており、横浜市全体で見ても1日の利用者数は、横浜、桜木町、戸塚、新横浜に次いで第5位というターミナル駅となっています。
一時は衰えた買い物客も京急・ウイングのオープンによって吹き返し、すっかり活気が戻りました。
現在では横浜市内の繁華街の1年間における販売額における多さについて、横浜駅西口、同東口に次いで第3位を誇ります。
また京急百貨店は、1997(平成9)年から現在に至るまで約100ヶ月連続で売上げ増というほど集客力があり、魅力あるお店がたくさん入っています。
上大岡は電車でも車でも、都心や横浜中心部からのアクセスが抜群で、日頃の買い物においてもほとんど不便せず、少し歩けば空気もおいしく感じられます。
上大岡はまさに、生活地域として非常にレベルが高い街といえるのではないでしょうか。
これからもますますの発展に期待したいものです。


参考文献
「港南の歴史」 (港南の歴史発行実行委員会:編)
「わたしたちの港南」 (横浜市教育委員会:編)
「THE 再開発 横浜市上大岡の記録」 (上大岡駅前再開発協議会記録事業委員会:編)
「横浜の町名」 (横浜市市民局)
「京急の駅 今昔・昭和の面影」 (佐藤 良介:著)
上大岡といえばこの駅ビルで、京急上大岡駅のホームを2階部分にすっぽり包み込み、その上下に京急百貨店と専門店街のウイング上大岡があります。京急の改札口は1階に2ヶ所と3階に1ヶ所、駅前の鎌倉街道下にある市営地下鉄上大岡駅の改札口は地下1階に2ヶ所あります。
この他、横浜市港南区民文化センター「ひまわりの郷」や25階建てのオフィスタワーがあります。

ちなみに「ゆめおおおか」は一般公募によって決まった名称なのですが、残念ながらそれを口にする人はほとんどおらず、地元ではほとんど「京急」か「ウイング」という呼び名で浸透しています。
「ゆめおおおか」で忘れてはならないのが、このオブジェたちです。
これは駅前再開発事業の一環で行われた、「ゆめおおおか・アートプロジェクト」でできたのもので、地域に潤いと特色を与えるために構想されたものです。
写真の4点のオブジェのほか、ゆめおおおか内外に全部で19点のオブジェがあります。
上大岡駅の向かい側に平成15(2003)年12月にオープンしました。
建設される前にあった商店街のお店をはじめ、
「ひまわり市場」やスポーツ洋品店、飲食店やエステティック、カルチャースクール、オフィス、保育園などさまざまな業種のものが入っています。
考えようによっては雑居ビルのようですが、これはご愛嬌…。
上大岡の遊び場といえば、この赤い風船。
ゲームセンターからパチンコ、カラオケ、ボーリング、バッティングセンター、居酒屋、カフェ、スーパーマーケット、100円ショップ、ユニクロ…あらゆる業種を手に持つアミューズメントパークです。
地元では「アカフー」という通称で親しまれています。
他地域にもある大型スーパーのイトーヨーカドーですが、上大岡にはなんと2軒あるのです。
1軒は、駅南側にある上大岡店。もう1軒は、駅北側にある横浜別所店で、
長年、1974(昭和49)年開店の上大岡店の1軒だけでしたが、1999(平成11)年に横浜別所店が開店し、上大岡の南北にイトーヨーカドーが営業するようになったのです。
京急に乗っていると、上大岡駅を到着する前と、発車した後で2軒を見ることができます。
現在、屋上の看板は写真の鳩マークではなく、「セブン&アイ ホールディングス」のマークになっています。
なお、上大岡店には、デニーズの日本第一号店があります。
上大岡駅の西側を流れています。
今でこそ数が少なくなりましたが、川岸には捺染工場がいくつかあり、半世紀近く前までは大岡川で染物を洗っている風景も見られました。川で洗うということで、水の色はバラエティ豊かだったということです。
しかし都市化の波が上大岡にも押し寄せ、下水を川に流すようになり、清流だった川は、悲しくもドブ川と化してしまい、一時は「川にふたをして、駐車場にしてしまおう」という声もありました。しかし近隣住民の川の清掃などといったたゆまない努力と、下水道の整備によって、現在では、またきれいな川に戻りつつあります。
川の両岸にはプロムナードが整備されています。
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